はじめまして。ゆくりはねっとをご覧頂きありがとうございます!
トラウマ治療カウンセラー & 天職・才能アドバイザー
松葉 謙(まつば けん)です。

動画撮ってみました! こんな人です

 

松葉 謙(まつば けん)

1981年、三重県 いなべ市 生まれ。

三重県 いなべ市→大阪(柏原市)→伊勢市→松阪市と住んできました。
今まで住んできた場所は、全部大好きです^^
現在、三重県 いなべ市 在住。

三重暁高校、関西福祉科学大学卒業。
卒業後、児童養護施設で児童指導員として4年勤務。退職後、インドに一人放浪の旅へ。
マザーテレサの施設「死を待つ人の家」で自分の残りの命の使い方を考えさせられる。
帰国後、2010年、昼間はNPOの小さな学校で6年間教師として不登校・高校中退、高卒認定のサポートに関わる。
同時に、夜間悩み電話相談サービス 【心のホットライン ゆくりはねっと】を開設。
立ち上げから10年で3,000人以上の方の心の悩み相談を聴く。

また、全国でも珍しい「才能アドバイザー」を名のり、
これまで多くの人の、転職相談や、才能についてのアドバイスを行う。

また、人間関係の心の悩みや、「トラウマの治療」も専門としている。

2016年 教師を退職。カウンセラー、ヒーラーとして本格的に独立する。

趣味:量子力学、波動医学、ギター、ドラム、サブカル

夢は、本来の自分らしさや個性を大切にした「生きる力を育む寺子屋」(フリースクール)を創ること。

最近、叶いました→ 夢実現サポート&フリースクール「寺子屋 松葉塾」

2019年度からスタートしています♪
この場所を通して、自分らしく生きれる人が増えてくれたら良いなと思います^^

カウンセリングも寺子屋も、どちらも自分にとって大事な場所なので、両方とも、これからも引き続き大切にしていきたいと思っています^^

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松葉 謙(まつばけん)のfacebookはこちら

<出版社の方へ>
カウンセラーというお仕事を通して、お伝えさせていただいてきた多くの知恵を、一人でも多くの方にお役に当てるように現在執筆活動を考えております。ご賛同いただける方からの取材・執筆のご依頼はできる限り協力させていただきたいと考えていますので、もしもご縁がありましたらよろしくお願いたします^^ ご連絡は、下記のリンクからお願い致します。
原稿のご依頼はこちら

 

<資格>

社会福祉士  教員免許
NLP(実践心理学)プラクティショナー
(※カウンセリングではNLPの知識・技術は使いません)

1級電磁波測定士

<松葉ができる2つのこと>
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チア・カウンセラー・・・「聴くプロ。悩んでいる心をすっきりさせる専門家」です。

人間関係でのお悩みや、落ち込んでいて、
自分に自信が持てない時、
「あなたの心がすっと楽になり、いつもの元気を自分に戻せる」

お悩み相談の専門家です。
ウツや対人恐怖、トラウマの治療なども専門に行っています。

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天職・才能アドバイザー・・・「才能を見つける専門家」です。
あなただけの才能・天職を見つける全国でも珍しい、
才能を見つける専門家です。

才能とは、「人にはない自分だけの特別な能力」です。
全ての人がそれぞれの才能を持っていますが、自分の才能が何なのか自分で理解している人はそれほど多くありません。
才能を探す旅は、自分を知る旅でもあります。

つまり、才能アドバイザーという仕事は、「自己分析の専門家」でもあります。

才能アドバイスの詳細はこちら↓
(クリックで詳細ページに飛びます)

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現在は、教員を独立し、カウンセラーとして「心のホットライン ゆくりは ねっと」を運営しています。

心のホットライン ゆくりは ねっと

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(リンクをクリックすると ゆくりはねっとのHPがご覧いただけます。)

2016年7月から対面カウンセリングも始めました。
ゆくりはねっとのカウンセリングルームはこちら↓

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ゆくりはねっとのカウンセリングルーム

ユーザー様の声はこちら

①受験のための勉強ではなく、本当の意味で子どもたちが「生きていくうえでの力を学べる学校を作ること」そして、②「悩んでいる人辛い人の悩みを解決し、いつもの元気を取り戻してもらうサポートをすること」これが自分が生涯をかけて取り組んでいきたいことです。

※ブログ内でもさまざまな悩みの解決法を紹介しています^^
マツバ流さまざまな悩みの解決法はこちら
(人生の悩みを解決する知恵です。よかったらご覧ください^^)

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少し長くなりますが、ここからは松葉謙の物語を書きました^^
何か1つでも共通点があったら嬉しいです^^;
〜自分の残りの命をどう使う?自分のいのちの使い方〜

目次 お好きな場所からどうぞ♪

自分が生まれてきた意味は何なのか?

 

小さい頃から、ずっと「何故、人は生まれなぜ生きるのか」という部分に深い興味を持ち、独学で人生についての勉強をしていました。

「自分がやりたいことは何なのか」「自分の才能は何なのか」「「自分が生まれてきた意味は何なのか」これが僕のずっと考え続けてきたテーマです。

でも、なかなか答えはでませんでした。

教育の道か?福祉の道か?人生の2つの選択

高校を卒業し、1年間浪人し、「教育」の道へ進もうと勉強したのですが、志望した大学は見事受からず。当時、地元から1度出たいという思いがあり、第一志望の大学も県外の大学だったのですが、残ったのは地元の「教育大」と、以前からもう1つ興味のあった「福祉」の大学でした。こちらは、大阪の大学でした。ここにきて2つの選択肢に迫られました。
「教育」なのか「福祉」なのか。今思えば、なんとでもなると思えるのですが、当時の自分にとっては「これで人生の方向が大きく変わる」と大いに悩み、どうしても決断できず、家族とももめ、
散々な状態でした。どうしても結論が出ず、小学校の時お世話になった恩師に、電話をしたのを今でもよく覚えています。

先生は、うんうん、と聴いてくれ、僕にこんな風に行ってくれました。
「謙ちゃん、1回、回り道しておいな。それでも教師をやりたいと思ったらその時やればいいんだよ」

「回り道か・・・。」

僕は、早くなるべきものになりたいと自分の人生を急ぎすぎていたのかもしれません。

その言葉がきっかけで、僕は「福祉」の道に進みました。大阪の【関西福祉科学大学】という小さな大学でした。ここで出会った友人達は今でも最高の宝です。大学でボランティアで児童養護施設の子どもたちへの家庭教師をしていました。

ずっと教師になりたいと思いがあったのだけれど、「こういう形で子どもたちと関わることもできるんだな。」児童養護施設で生活する子たちは家族と何らかの事情があり一緒に生活できない子たちです。「この子たちの何か支えになりたい」いつしか、児童養護施設で働くことが僕の夢になっていました。

この当時、考えていたのは人生の不条理というものです。生まれつきの病気とか、
家庭環境とか、この施設に入ってる子も同じで、自分の力ではどうにもならないことって人生にはあるってこと。

僕も生まれつきの持病があったので、当時は「なんで自分だけがこんな目に」って思うこともありました。現在は必死でその病気について勉強し、自力で完治させましたが、なぜか自分の辛さとリンクして何か自分にできることはないかと考えるようになっていました。

大学を出て、地元の三重県に戻り、実習でお世話になった【児童養護施設】で4年間勤務しました。「生きること」を考えさせられる深い仕事でした。またあそこで働いてみたいなと思うくらい職場 の仲間に恵まれていました。

とにかく人が良かった。月の半分はほとんど泊まりこみだったけど、子どもたちとの生活もとても楽しかったです。

しかし、その反面迷いもありました。児童養護施設の仕事にも信念があり、一生をささげるつもりで働きましたが、一方で、悩んでる自分がいたのです。

この仕事は、自分の苦手なことがとにかく求められました。自分の才能を活かしきれていない気もしたのです。例えば、朝、昼、晩の料理、修理、整理整頓、子どもを叱るのも苦手で、枠付するのも苦手でした。もちろん、苦手を克服しようと努力もしたし、自分の長所を活かして自分らしいやり方でやっていこう。そう思って踏ん張ったけれど、何をやるにも少し虚しくて、生きているのかさえわからなくなる感覚。

そんな中いつも思い出していたのは教壇に立って授業をしている風景。「教師になりたい」という思いが僕の中でずっと捨てきれずにいました。

本当に自分がやりたいことって何なのか?教師への思い

自分は人生をどうしたい のか?もう1度しっかり向き合いたいと思うようになっていました。

自分の人生を「ちゃんと生きてるぞ」という実感がほしかったのだと思います。

「どうしても1回教師になってみたい」思い切って児童養護施設を退職することを決意しました。

なぜ自分が教師にここまで「こだわり」があるのかは実の所わかりません。

ただ、学校に行っていた頃、常に自分の中にあった疑問が、

この「何のために勉強するのか」という疑問です。

少なくとも、僕のこれまでの学校生活の中では、受験勉強が一体 大人になってどんな風に役に立つのか、

または、「何のために勉強をするのか」 そういうことを教えてくれる先生には出会いませんでした。

そんな思いがずーっと自分の中にあり、高校3年生の時に1度、 「詰め込むだけの受験勉強って何のための勉強なのか?」って 文部科学省にその思いを原稿用紙に20枚近く思いをぶつけたことがありました

まあ、当然何も反応はなかったのですが・・・^^;

「何のために勉強するのか」その疑問って、大人になってからも、ずっと残っていて、

もしも自分が、教師になったのなら、僕は少なくとも自分の教えている授業は、

「この勉強がどういうことに繋がっているのか」を伝えたい。 そんな風に思いました。

 

学校は子ども達にたくさんの知識を詰め込みますが、その知識を想像力や、 情熱を通して現実に応用していかないと何も学んだことにはなりません。

多くの学校では、知識だけ与えて、そのまま「仕事を見つけなさい」と社会に放り出しているように感じるのです。

これまでの、日本は戦争などのため平均化された人になることを求められていた教育をされてきたと思うのですが、
その名残りが今の教育にもまだあるように感じます。

その子本来の個性や長所、興味を引き出してあげる教育が、人間には必要ではないかとずっと感じていました。

自分の中での理想は、吉田松陰の「松下村塾」のようなイメージです。

すべての子の良い部分を引き出す教育。生徒が授業をしたっていい。
そういう自由な学校を創りたいという思いがあります。

大げさだけど、自分が教師になったら、学ぶことの意味をちゃんと伝えたい、
そして朝から晩まで1人残らず生徒を笑わせてやるんだ。これが正直な思いでした。

児童養護施設を退職

だから決意しました。

子どもたちには1人1人辞めることを伝えました。「ごめんな。俺どうしても教師になりたいんだ。だからここを辞めようと思う」

「え、ケンケンいなくなっちゃうの?」「うそやろ?」小さい子たちは驚いていたし、
中・高校生くらいの子達の中には、「自分のやりたいことをやるって決めて辞めるんなら、おれは間違ってないと思う」と大人な意見をくれる子もいました。

でも、やっぱりこの仕事は、続けていること、そこにいることが大事なのだと思います。
もうそこに自分はいられない申し訳なさというのがとても強かったです。

特に担当していた子に伝えるのは辛かったです。涙をながす子もいました。これが1番自分の中で辛かったです。

職場のスタッフの人たちにもほんとにお世話になりました。最後まで暖かく送り出してくださったご好意は感謝しきれません。この施設には退職した今でも時々遊びに行っています。僕の原点の場所。そして暖かい場所。この施設はそんな場所です。

子ども達が、手紙を最期にくれました。中には自分の大事にしてる人形やキーホルダーやら。

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最後の最後まで本当にありがとうという感謝の気持ちでいっぱいでした。

「また来てよ」って。「また、会おうね」って約束して。

こうして僕の児童養護施設での長くも短い4年間は終わりました。

その後、自分をもう1度見つめなおす旅ということで、やりたかったインド一人旅に出ました。

インド放浪の旅へ

実は大学の時、同じ軽音サークルの先輩から誕生日に1冊の本をプレゼントしてもらったのですが、それがロバート・ハリスの「エグザイルス」という本でした。

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世界中をヒッピーのように歩き、人生の100のやりたいことリストを作り、自分のやりたいことに従って生きるこのロバート・ハリスの波瀾万丈な人生に僕は憧れていました。

なぜか、わからないけれど、なんとなく「インドに行こう」そう思いました。時間はたっぷりある。目的は、生と死を司るガンジス川、そして世界中からボランティアの人が集まるというマザー・テレサの施設。人生を深く考えるのはよい場所だと思いました。

それがちょうど28歳の時でした。

初めての海外。しかもバックパック1つの1人旅。

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ベタないわゆる自分探しの旅というやつですが、ここでの経験は自分にとって多くの気づきを与えてくれました。これまでの自分の人生というのは、周り の目を気にしていたり、こうじゃなきゃいけないという勝手な思い込みがありました。でも、自分が思っているより、人生はもっと自由で、色んな生き方をして いる人をこの目で直接見れたこと、こういう生き方もあるんだなとなんだかホッとしたのを覚えています。

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インドという国は、混沌としていて、貧富の差が激しく、飢えや病気もあるし、教科書では勉強したことはあったけど、実際に体験してみるのではやはり違い、感じることが多かったです。

騙されたり、強盗にあったり、水にあたり3日間高熱で生死をさまよったりして、初めての旅にしてはハードだったけれど、僕の感じたインド、それはダイナミックに生きる人と、そこに生きる人と人の暖かさでした。

そして、マザーハウス。1ヶ月間マザーテレサの施設で働かせてもらいました。ここには「死を待つ人の家」という、家族から見捨てられた人や、病気でもう助からない人たちが入る施設があるのですが、そこでも働かせてもらいました。
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ここでの経験が、のちの僕の人生を大きく変えることになるのでした。

コルカタで学んだ2つの愛

インドのコルカタという町にあるマザーテレサの施設で1ヶ月間働かせてもらいました。
ここで、シスターが話してくれた話を今でもよく覚えています。

それは愛についての話でした。ようは愛には2通りあるのだとシスターは言っていました。

1つは「自分の好きな人に対する愛」。これは、好きな人や友達、家族に対する愛がそうなのだと。

そして、もう一つは「自分が嫌いな人に対する愛」例えば、職場で自分を嫌う人がいた時に、その人にも自分から挨拶ができるか。
例えば、自分のことを憎む人がいて、その人のためを思って行動できるか。
キリスト教の隣人愛の「敵を愛せ」というのがこのことだそうで、
実はこの見返りを求めない愛が1番大切なのだとシスターは話していました。

前者の愛は誰にでもできるが、後者の愛はなかなか難しい、もう1段階レベルが上の愛だということでした。
なぜ、これが難しいかというと、自分自身が傷ついている時にこそ試されるものだからなのかもしれません。
例えば、人は寂しいとき、「もっと自分をみてほしい」「何で自分だけ」とベクトルが自分に向かっているような気がします。
そのベクトルを自分じゃなく、周りに向けることが一つ、寂しさをなくすコツなのかなと気づかされました。

人の生きがいというのは、自分以外の人にどれだけ思いを込めて生きれたか、
与えることができたか、そういう所に、人が本当に生きがいを感じる大切な部分があるんじゃないかと、
今でも時々この話を思い出します。

そして、マザーハウスの「死を待つ人の家」での出来事が、自分の人生を大きく変えるのでした・・・

マザーハウス「死を待つ人の家」での出来事

マザーの施設の「死を待つ人の家」は薄暗く、そこに死があることを感じました。

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感染症の病気の人もいて、ボランティアしながら、
この病気が移ったらどうしようなんて思ってしまう自分がいました。
情けないけれど、それがその時の正直な自分の気持ちでした。

病気の人を目の前にしても、
結局自分のことしか考えてない自分にかなり自己嫌悪になり、
このままボランティアしていていいのかすごく迷いました。

そんな時、同じくコルカタにあるマザーハウスで、
人の本当の不幸は「孤独」であるとマザーが言っていたとシスターから話を聞きました。

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マザーは、貧しい人や病気や体の不自由な人に支援しているというイメージがありますが、
本当にマザーが伝えたかったことは「大丈夫、あなたは1人じゃないよ」ということ。
それは、自分がこれから仕事をする上で1番大事にしたいことと同じでした。

これまでインドの町中にもたくさん貧しい人がいるのを見てきたけれど、
この「死を待つ人の家」の人達と町の人の決定的な違いは、
「孤独感」なのかなと思いました。

そう思った時、まだここで自分にやれることはあるなと思いました。

最後にシスターは「日本のコルカタをみつけてください」と言っていました。

日本は、これだけ物があふれているのに、寝たきりの一人ぼっちのお年寄りの人、
自殺する人、孤独と感じる人がたくさんいます。

「そうか、やっぱり自分がしたいことって、そういうことなんだな。」

1ヶ月ボランティアしてみてそう思いました。
1つ自分の中にぶれない1本筋ができた気がしました。
自分が人生で大事にしたいことは、どうもこの辺にあるなと感じました。

この時、電話相談の仕事のことが頭に浮かんだことを覚えています。
「大丈夫、あなたは1人じゃない」自分が前職で児童養護施設を選んだのも、
それが人にとって1番大事なことだと思うからなのだと今になって考えます。

帰国前、あるドミトリーに泊まった時には、旅人のノートに誰かが書いていったメモにこんな風に書いてありました。

 

 

君は人から何かをもらうことを、
少し期待し過ぎるんじゃないかな。
たまには、人に与えなさい。

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自分が人に与えられることって何でしょうか・・・・。

そんなことを考えさせられた旅でした。

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そして、帰国・・・

孤独感とういうキーワード

インドから帰国後、しばらく1人でこんなことを考えていました。
「自分の人生の終わりはいつくるのだろうか?」自分の死について初めて真剣に考えました。

それは、今すぐ死ぬということではなく、
「自分の残りの人生を、悔いなく生きるにはどう生きたらよいのか」それを考える大事な作業でした。
「いつ死んでも悔いのないような、そんな生き方をしたい・・・」

そんな風に考えたとき、ふと思ったこと。それは、「孤独感」というキーワードでした。

「死を待つ人の家」で「孤独感」という言葉を聴いてなぜ、あれほど心が動かされたのか。
この言葉は自分の人生にとって大事なキーワードだなと感じました。

なぜならば、それは今になって思うのですが、

僕自身が人とうまくやっていけず、孤独感をもっていたから・・・。

そんなことに気づきました。

僕は小さい頃、生まれつきの持病でみんなと同じような生活ができませんでした。
みんなが、当たり前のように食べている食べ物。「今日は○○に行こう」と誘われても、断らなければならない辛さ。
「なんで僕だけ、こんな体で生まれてきたんだろう。」そんなことばかり考えていました。

当時はまだまだ医療が未発達で、間違った治療法が横行していたというのも1つの要因でした。
今では自分で治し方を徹底的に研究し、完全に完治していますが、
当時は、この病気から色んな事を学んだし、
人生には自分の力ではどうしようもない不条理があることを学びました。
そして、それは決してマイナスなものではなく、プラスに変えることができるものだということも学びました。

そんな子どもの頃を少し思い出していました。

あの日、遠くインドの地で見た孤独感は、実は僕の心の中にもあった孤独感だったんですね。

世の中には色んな社会の矛盾を経験したり、人に理解されないことや、
不条理に苦しんでいる人がたくさんいます。

だから、そういう人がもしいたら、
自分が側にいて「大丈夫、あなたは一人じゃないよ」
っていうことを伝えるサポートがしたいなって、その時強く思いました。

それが、人生をかけて自分がやりたいことなのかなと。

児童養護施設で働こうと思ったのも、不登校の支援をしているのも、
このカウンセリングのお仕事も、すべては僕自身のこの部分がきっかけとなっています。

「大丈夫、あなたは1人じゃない」

本当に少しだけかもしれないけれど、ほんの少しだけ僕にはその痛みがわかるから。

だからこそ、すべての経験が大事な経験で無駄な経験じゃないということも伝えたい。

結果はわからないけれど、なぜだかそういうことを大事にしたいと思っています。

自分の残りの命は、そういう使い方をしたいなって思ってます。

もらった愛情を周りの人に返すという生き方

ここで、1つ忘れてはいけないのは、どれだけ自分が孤独を感じても、
その時その時、自分をつないでくれた人がいたということ。
自分に思いやりをかけてくれた人に、生かされていたということです。

その時は、気づかなかったけれど、人とうまくコミュニケーションがとれず、
孤独を感じていた時も、自分を気にかけてくていた人はいたということ。

今になって、これまで自分がどれだけたくさんの愛情を周りの人からもらっていたのかということに気づきました。
それを思い返してみたとき、それはもう、ただただ感謝する以外ありませんでした。

自分はもう充分すぎるくらい人から思いやりをもらってる。
だから、今度はそれを自分の目の前の人に返したい。そして人の力になりたい。

人から貰った愛情を、また人に返していく。そういう生き方が自分にとって後悔のない生き方なんじゃないか、そんな風に思いました。
自分以外の人にどれだけ思いを込めれたか、どうしたら人が喜ぶか、そういう生き方ができたならば、僕は、自分の人生は悔いなく生きることができたと思えると思います。

自分が人に与えれるもの

じゃあ、どうやって返すか?自分が人にできることは何なのか?そこで自分がやったことは、自分という素材を見つめなおす、徹底的な自己分析でした。

自分の得意なことを使って、人に貢献できることは何かを考えた時、自分の中に残ったもの。それは「人の話を聴く」ということでした。

ふと、ある言葉を思いだしていました。

それは、児童養護施設で働いている時、
ある女の子が言ってくれた言葉。

「ケンケンと話していると何か楽になる^^」

それは、とても何気ない一言だったのだけれど、

何故だか分からないけれど、僕はずっとその言葉を覚えていました。

退職してからも、ずっとその言葉が自分の中にあったことに気づいたのです。

これまで友達や周りの人から悩みや相談ごとをされることが多く、
相談にのった後、なぜか自分と話をすると元気になる、
癒されるといってもらえることがありました。
その言葉に私自身どれだけ救われたか分かりません。

人から必要とされている実感。それが得られた瞬間でした。
本当にうれしかったのを覚えています。
それと同時に、自分の得意なこと、自分が人に喜んでもらえるものは、
もしかしたら、この「人の話を聴く」ということではないかと思いました。

考えてみると、今まで生きてきた中で、僕自身が人と信頼を深めてこれたのは、
この人の話を聴くということがきっかけになっていたことがとても多いような気がします。
それは子どもの頃からそうでした。

「人の話を聴く」これこそが、自分が人の役にたてる武器ではないかと、大げさに言えばそれが使命なのかなと。

しかし、それだけでは、ただの思い上がりということもあります。もう1度しっかり基礎から「聴く」という行為を勉強しました。

具体的には、NLP(実践心理学)の養成講座で、実践的なコミュニケーションの技術を学び、
その後、週1回の電話相談員(いのちの電話)の研修を1年半みっちり学びました。

そして、心のホットライン 「ゆくりは ねっと」を開設しました。

 

心のホットライン ゆくりは ねっと

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ゆくりはねっとの名前の由来

「ゆくりは ねっと」の名前の由来ですが、
「ゆくり」とは古語で「人の縁」を意味します。
私自身これまで人の助けの中で生きてこられた人生でした。
この「人の縁」という言葉。

これは、自分にとって大事なキーワードの一つです。
なぜならば、これは、「孤独感」と対極をなす言葉だと思うからです。
どちらの深さも体験しているからこそ、自分にはできることがあると感じています。

これまで出会ってきた人とこれから出会う人への感謝の気持ちを込めて、
人の縁の通う葉であり、何かお役に立てる場になりたいという意味を込めて、
このサイトを「ゆくりは」と名づけました。

人生が大きく動き始めた28歳

2009年、28歳というのは僕にとって不思議な年で、
このインドから帰国後、霊的真理との出合いがありました。
以前から「生きるとは」について深く考察してきましたが、
精神世界にこの頃から興味を持つようになり、本を読んだり
なぜか、そういうスピリチュアルな人たちともよく出合いました。

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同時に「なぜ、人は生まれ生きるのか。」
長年考えてきたその答えが自分の中で、はっきりと明確なものになりました。
すっとわかったんですね。あ、そっか魂のレベル上げに来てたんだって。
なんかほんと、すっと腑に落ちたんです。

そんな頃からでしょうか、
ゆくりはねっとを立ち上げから、少しずつですが問い合わせが増えるようになってきました。

そして、教師になるという夢もあったので、
夜はゆくりはねっとでカウンセラーとして働き、
教師になるため就職活動もしました。

もともと、不登校の支援がしたかったので、
一般の学校ではなく、通信制高校やフリースクールなどの学校を探しました。

僕の場合、就職先を探す時は、
募集の有無にかかわらず、
すべて自分の目で見ます。

地元三重県から近隣の愛知県まで、
とにかく不登校支援をしている学校・組織に見学させていただきました。

ほぼ、行ける範囲の場所は見学させていただいたと思います。

そして、その見学させていただいた中の1つのNPOの通信制のサポート校に教師としてのご縁を頂きました。
この時は本当に嬉しかったです。

それから6年間は、昼間はNPOで教員として働きながら、夜間はこの「ゆくりはねっと」を運営していました。

相談者の方も徐々に増えていき、
立ち上げから10年で3,000名以上のご相談をお受けしました。

なぜ悩みを解決できるのか?

「人の話を聴く」この他に、僕にはもう1つ武器があります。

それが、「知識」です。
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「強み」というのは、その人が「時間」と「お金」をかけてきたものを見ればわかると言いますが、
思い起こせば、これまで自分が何に1番「時間」と「お金」をかけてきたかといえば、

「本を読むこと」なんです。とにかく僕は本を読むことが好きで、1ヶ月に15冊~20冊くらい読むのですが、「知識を学ぶ」ということに莫大な量の時間とお金を投資してきたと思います。それは、自分自身が悩んできたもの、例えば、才能の見つけ方であったり、人生を幸せに生きること、自分を愛するということ。そんな内容の本を読んだり、高額なセミナーにも参加したり、とにかく自分がピンときた情報にこれまで多くの投資をしてきたと思います。

人生には知っておかなければならない、
大事な知識というものがあります。
それは自分を愛する方法であったり、
才能の見つけ方であったり、トラウマの取り除き方であったり、人生の法則だったり、幸せに生きる考え方であったり、たくさんの大事な事があります。
(多くの方はこの知識を知らないことが悩みの原因となっています)

元々持っていた才能である「人の話を聴くこと」に、自分の強みである「知識」を組み合わせることで、多くの悩みを解決できたり、この電話相談の仕事はうまく自分の能力とマッチしているなと感じます。

このフィールドでは、多くの人の役立てると確信しています。

「人の話を聴くこと」×「悩みを解決する知識を伝えること(文章や直接のカウンセリングを通して)」この2つは、自分だからこそ出来ることだと考えています。

このプロフィールをご覧いただければわかるとおり、僕は医者でもなければ精神科医でもありません。

けれど、この2つの力を使うことで、
相談者様の悩みやマイナスな思い、ネガティブな感情を浄化する(すっきりさせる)こと。

その1点に関しては自分の能力だと思っています。

これまで人生の中で 「人の話を聴く」ことや「人の相談に乗る」ということに多くの時間と思いを積み重ねてきました。

友達の相談に乗るのは自分も好きでした。全然苦痛じゃなかった。

「ちょっと聴いてよ」と電話してくれる友達が多かったこと。

 

これが、今のこの仕事につなげてくれたきっかけであり、 この仕事を始める上で、自分の自信になっていたように、 今考えるとそう思います。

こういうとよく驚かれるのですが、ほんとに何時間、人の話を聴いてても疲れないんですね。だから「聴くこと」は僕の天職なのだと思います。

 

僕が生きる上で、もう1つ大事にしていること

それは、
「自分のワクワクを人生の中心に置く」ということ。

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今までは、好きなこと、したいことではなく、本当はしたくないんだけど、生活のために・・・

 

そうやって仕事をしている人が多いけど、これからは、嬉しい、楽しいを基準におく!!
本当に自分のやりたいことをしている人。そういう時代になってくると思います。

 

自分の魂の声を無視してはいけないのです。

僕はこれまで自分の心の声に素直に従ってきました。
教師をやりたい時は教師を目指し、
かけがえのない生徒たちと出会わせてもらいました。
教師をやりながら、子ども達と一緒にバンドができたら楽しいなと思い、
軽音楽部を創らせてもらったり、本当に恵まれていたなと思います。

そして、今は独立し、カウンセラーとして人をサポートすること、

そして、「生きる力を学べる寺子屋」を創ることに今はワクワクしています。
これらは、全部自分のやりたい仕事です。

これからも、もっともっと人生を遊ぼうと思います。
「やりたいことをやる」という遊び、人生をかけた遊びです。

 

教師を退職。独立の道へ。僕は人生でもう1度だけ教師をする

教師を退職することは、僕の人生の中で1番悩んだことかもしれません。
これほど人生で、どう決断してよいか迷ったことはありませんでした。
教師になることは昔からの夢だったので、その夢が叶ったこと。
そして、不登校、高校中退、さまざまな辛い経験を乗り越えて、
出会った子たち。自分の中でも本当に思い入れのある学校でした。

6年間の教師生活で、少しでも生徒たちがここに来てよかったと思ってくれたなら、
それほど嬉しいことはありません。
この場所に通い、少しでも元気になってもらうこと。
ただただ、その1点に思いを込めてやってきた6年でした。
2016年ちょうど、学校が正式な学校になるというタイミングで、
僕は退職することを決意しました。
足かけ3年をかけて、1から学校を創るという貴重な経験を体験させてもらったこと、
1つの志が、多くの周りの人を動かして、夢が叶っていくのは本当に感動しました。

正直、新しい学校がどうなっていくのか見ていきたいし、まだまだ今の生徒たちとも一緒にいたいし、
自分もそこに関われたらなという思いはやはりあります。

このタイミングで辞めるべきかは本当に最後の最後まで悩んで苦渋の決断でしたが、

自分で「生きる力を学べる寺子屋」を創りたいなという夢があったから。
今がタイミングと思い決心しました。

やはり、みんなとのお別れの時は、何よりも辛かったです。
これまで自分と少しでも関わってくれた生徒たちへ。

本当ににかけがえのない生徒たちとこの場所で出会わせてもらいました。
これから先、何があっても、ずっと味方でいます。

多くの人に愛を振りまいて、多くの人を助けてあげてね^^
ずっと応援しているよ^^

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2016年、もう1つの夢に向かって歩み始めました。

僕は人生でもう1度だけ教師をする。
今度は自分の手で寺子屋を創って。

 

人の縁の不思議、出会った人を幸せにする

そして人の縁。

人生において、「何をしたか」ということよりも、「誰と出会ったか」ということは、もっと大切なことなのかもしれません。

それは、人生の中のほんの一瞬のことなのかもしれないけれど、とても、とても大切なことのような気がします。

自分の人生を振り返ると、本当に友達にも人にも恵まれてきた人生だなと思います。

2019年の1月には僕の人生にとって1番大きな出来事がありました。

大好きな祖母が亡くなったことです。

小さな頃からずっと、どんな自分でも受け入れてくれていた存在。

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歳をとって足が悪くなってからは家の中にいることが多くなってしまったり、
少し認知症の部分が出たりもしてたけど、変わらず祖母はずっと優しかったです。

「何があっても、おばあさんは僕が絶対守ったる」そんな風にいつも思っていました。

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でも、2019年自分のインフルエンザがきっかけで祖母の体調も悪化し、
旅立ちました。

色々と後悔もあります。自分を責めたりもしました。
でも、きっとそれは祖母も悲しむし、そういう考えはしないようにしようと思いました。

祖母からもらっていた無償の愛。
目には見えないけれど、確かに自分の中に感じます。

もう僕は十分もらったと思います。

おばあさんのぬくもり、この愛情があれば、これから先、僕は何があっても乗り越えていけると思います。

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与えてもらった愛情を、今度は自分の周りの人へ。

 

 

人から受け取った愛情をちゃんと返せる人間になりたいなと思います。

 

これからも色んな人と出会っていきたいです^^

ここまで長い文章を読んで頂きありがとうございました。

 

これだけ膨大なサイトがある中、今この瞬間僕のサイトを見てくださっている方がいることに本当に感謝しています。
一生で出会える人の数には限りがあります。
人生においてこうやって出会えること自体が奇跡だと思っています。

僕にできることはほんの些細なことなのかもしれないけれど、
せっかく縁あった人を元気にするくらいの力にはなりたいと思っています。

このページを見ていただいたのも何かの縁。

直感で何か感じるものがあれば、いつでもご連絡いただけたらと思います^^

何か辛い時、迷った時がありましたら、いつでもあなたのお力になりますので、
どうか頼ってくださいね。

こちらからご予約いただけます。
ご予約は下記のボタンから

心のホットライン ゆくりはねっとでは、「さまざまな悩みの解決法」というコーナーで、さまざまな悩みに対しての、解決のヒントについて触れておりますので、よろしければそちらもご参照ください。無料ですので、どんどん解決のヒントを持って行ってくださいね。ネガティブな気持ちを前向きにする方法や、幸せに生きるコツが散りばめてありますので探してみてください^^電話相談以外でも、少しでも何かお役にたてればと思います^^

「さまざまな悩みの解決法」
(最新記事もこちらから見れます)

 

最後に一言(カウンセリングで大事にしたいこと)

 

「チア・カウンセラー」という言葉自体あまり耳にしないと思うのですが、
一言で言えば「心のすっきり屋」とか、「元気が出るツボを押す人」といったところでしょうか^^

心の問題を解決するのに本当は病院の薬は必要ないと感じています。
ちゃんと心の仕組みを知ることで解決できるのです。

カウンセリングでは相談者様の心の奥にあるネガティブな観念を読み取り、
それを浄化していきます。

世間ではヒーラーというのかもしれません^^

要は、電話で話すことを通して、相談者様ご自身から元気が湧き出てくるようになってもらうことがこの仕事の1番の目的です。 そのためには、

①時間をかけてしっかり相談者様のお話を聴くこと

②ぶつかっている問題や、生きる意味について相談者様と一緒に考える

この2点を大切にしています。

松葉 謙という1人の人として、これからみなさんのお話を聴かせていただけたらと 思っています。

マイナスの感情や、ネガティブな感情を浄化したり、癒すには相談者様との多くの対話はかかせません。また、

その人にとって何を伝えればいいのか

日々責任をもちながらやる必要があるのだと覚悟をもってやっています。

自分の人生をかけてこれから出会う、お一人お一人に思いを込めてこの活動を行っていきたいと思います☆

「自分のやりたいことが分からない、天職がわからない」というお悩みの方もご相談ください^^
全国でも珍しい「才能アドバイザー」としても活動しております^^
あなたの進むべき人生の方向が見つかるはずです^^

才能アドバイザーの詳細はこちら

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【人生のモット-】は、ゆっくり、ゆるく、寄り道、道草することです。のんびりと気ままに、人生をゆるく、ゆるく生きたいです。 

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(愛車 ベスパ)

今一番大切にしているこ とは、周りの人に毎日感謝すること。家族はもちろん、これまで出会ってきた人や、今の周りの人たちに助けられてなんとかやっているので、人の出会い、縁は 大切にしたいと思います。間違いなく自分と関わってくれた人のおかげで今の自分はあるので^^ ほんと人には恵まれているなあと日々思うしだいです。最近そんなことに気がつきました。人から助けてもらう力、周りの人から応援されること 生きていくうえで大切なことだなと日々実感しています。よろしくお願いします^^

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