こんにちは。ゆくりはねっとの松葉 謙(まつば けん)です。
今日は、つたない日記ですが、自分の思い出シリーズということで、
大学時代のことについて日記を書いていこうと思います^^
僕の人生において大学時代というのは大きなターニングポイントで、
行くべくしていった大学なのだなあと今になって思います。
プロフィールにも書かせていただいたのですが、
<松葉のプロフィールページはこちら>
↓
三重県の暁高校を卒業してから、教師を目指すため、
1年浪人をしました。
浪人時代
浪人というと暗いイメージがあるかもしれませんが、
当時はむしろ、高校から出たという開放感というか、
自由になった感じがすごくあって、名古屋の予備校に通ったのですが、
1日の時間を自由に使えることや、勉強の計画も自分で立てれることの楽しさがありました。
そして、予備校時代にできた仲間もおもしろく、みんなでソフトボールしたり、
最後の9回で、逆転満塁ホームランで優勝したのは今でも楽しい記憶として残っています。
あと、浪人ってちょっと社会の裏道というか、路地裏というかそういう道を歩んでる感があるんですよ。
他の同級生が、大学生活送ってたり、仕事したり新たな道に進んでるのに、
自分は勉強漬けの毎日。
ちょっと日の当たらない場所をありてる感覚。これは苦しくもあったけど、意外と好きでした。
これだけ勉強を頑張った機会もなかったし、勉強自体は楽しかったです。
もちろん、今の学校教育のあり方に疑問はありましたけどね。
その教育を帰れればなという思いで、教師を目指してました。
で、肝心の、受験はというと、当時、北海道の函館がすごく気に入っていて、
北海道の教育大学の函館校を受験しました。
高校時代は、勉強していなかったので、当然受からず、
1年勉強して、望んだのですが、結果は・・・・
不合格^^;
他に受験したのは、地元三重の皇學館大学の教育学部と、大阪の関西福祉科学大学でした。
運良く、この2つの大学には受かったのですが、
ここで自分に2つの道ができました。
教育の道か、福祉の道か。
思えば、自分の人生っていつも2択で迷うんですよね。
2択までは絞れるんですけど、そこからが選べない。
こういうことが本当に多いです。
教師の道も目指したいし、福祉の道も捨てがたい。そして大阪での生活にも魅力がある・・。
家族に相談しても、色々言われて余計混乱するし、喧嘩になったり、あげくみんな泣いたり、
この僕の大学どうするか問題は色々家族にも迷惑かけました^^;
もう絶望です。
なんか、この選択で人生が大きく変わってしまうような気がして、本当に選べない。
そこで、僕がとった行動は、「小学校の時の恩師に電話する」というものでした。
小学校を卒業してずいぶん経ちますが、毎年年賀状くれたり、こちらからも出したり、
こんな先生になれたらなという自分の理想の先生でした。
そんな信頼している先生に、今の教師と、福祉の2つの道で悩んでいることを伝えました。
先生も、うんうんとじっくり話を聞いてくれて、
ある言葉をぽんと言ってくれました。
それは、
「教師はなる気があれば、いつでもできるから、回り道しておいで」という言葉でした。
いろんな経験をして世界を広げておいでという意味だったのかなと思います。
そして、なんとなく自分も地元の教育大よりも、大阪の福祉の大学に魅力を感じていたのだと思います。
恩師のその言葉を聞いて、自分の中の道がよくやく開けました。
関西福祉科学大学での生活
大阪に出てきて、はじめての一人暮らし。
当時は、一人暮らしをするのが夢で、ずいぶんアパートも回って探しました。
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柏原市の国分という、小さな街でしたが、川やスーパー、コンビニ、居酒屋、本屋、一通り店も揃っていて、
大学も近くにあり、「学生の街」という感じの街でした。
僕はこの街が好きでした。
アパートは駅から近い場所でロフト付きの部屋を探したけど、見つからず、
1階なのですが、ベランダから下に降りる階段がある少し変わったアパートにしました。
オレンジハウス2だったかな?そんな名前のアパートで、のちにここは、大学からもそこそこ近く、
駅からも近いということで、大学の仲間のたまり場的な場所になりました^^;
ベランダの前が駐車場だったのですが、
慣れてくると、ベランダから「おーい」って声がして、入ってきたり。
君たち、玄関って知ってる?^^;
そんな思い出深いアパートです。
軽音楽部
関西福祉科学大学自体は、小さな大学で、隣に、関西女子短期大学がありました。
1学年120人くらいだったんじゃないでしょうか。
まだできて4年くらいしか経っていない大学で、今のように学部も多くないし、
ある意味、いろいろ実験的に行われてきてたのが、ようやく形になり始めたような時期での入学でした。
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僕自身、割と人見知りな方なので、初対面の人と仲良くなるまで割と時間がかかります。
大学では、高校の頃からやっていたドラムをもっとやりたいと思い、軽音楽部に入部しました。
この年の世代は、軽音楽部への入部が多く、1つ上の世代ですと、先輩が1人でした(後に2人になりますが)
でも、この世代は最初から10人くらいいたんですよね。
そして、みんな仲が良かった。偶然にも、その中の3人は、自分と同じく浪人して入ってきた子達でした。
大学3、4回生では、このメンバーで「浪人ず」というバンドも結成したり、ほんと楽しかったです。
国分の八剣伝でのアルバイト
大学の1回生のうちは、いろんな経験がしたくて、キャンプカウンセラーのボランティアをしたり、
いろんな大学の講義受けたり、軽音の部室に行ったり、友達作ったり、とにかく忙しかったのを覚えています。
そして、もう1つやりたかったのが、アルバイトでした。
今まで、アルバイトというものをしたことがなくて、
ずっとやってみたかったんです。
そこで、街をプラプラ歩きながら探していたら、「アルバイト募集」の張り紙がありました。
それが、国分駅前の八剣伝という居酒屋でした。
居酒屋が初めてのバイトでした。
八剣伝でのバイトはとにかく忙しかったのを覚えています。
ホールではなく厨房の仕事だったのですが、メニューも結構あって、1個1個覚えるのが大変で、
大学に、そこで覚えたメニューの作り方を持って行って、ノートに書いてひたすら復習したり、
してました。
仕事自体は、とても忙しかったけど、そこで働いている人たちはとても素敵な人たちばかりでした。
同じ大学の人や、隣の短大の子や、近くの教育大の子がいたり、いろんな学生がアルバイトできていて、
すごく刺激になりました。
あと、自分は大阪の人、好きだなあと思いました。
なんかみんな気さくで、明るくて、楽しかったです。
音楽の話したり、当時好きだった山崎まさよしの話をしたり、いろんな思い出があります。
ちなみに、今はまっているのは、くるりと、銀杏ボーイズ、ナンバーガール(もう解散しましたが^^;)、レキシなんかが好きです。
大学時代は、軽音楽部ということもあり、ジャンル関わらず、いろんな音楽聴きました♪
八剣伝の話ですが、
あと、なぜか着替える場所が、更衣室がなかったので、厨房裏の大きめのロッカーの中だったんですよね^^;
あれ、スペース的に仕方なかったんでしょうが、結構、斬新でした^^;
あと、給料も現金、手渡し時代だったので、2回くらい、給料落としたことありました(汗)
結局、八剣伝は、当時やっていたもう1つのキャンプカウンセラーのボランティアで病み始め、
余裕がなくなってしまい、3ヶ月で辞めることになりました。
あまり、バイトの子たちとも日程が合わず、辞めるということもいうことできず、連絡先も聞いてなかったので、店長にだけ行って辞めたのを覚えています。
申し訳なかったなあという気持ちありました。
でも、辞めてからも、短大とかで一緒に働いてた子が声かけてくれたり、すごく嬉しかったです。
なぜか、あの時のことすごく覚えてるんです。
僕にとって、初めてのバイト先ということもあり、短かったけど八剣伝は思い出深い場所でした。
また国分に立ち寄ったら行ってみようかなと思ってます^^
大学生活の自由さや、いろんな人達との関わり、正直、僕の人生で1番楽しかった時期かもしれません。
まさに、青春でした。
あんな、みんながワイワイやってる空間できたらいいなという思いで、
今のフリースクールの立ち上げにもつながっているのかもしれません。
そういう意味で大学時代の経験は本当に自分にとぅてターニングポイントだったと思います。
あと、国分の街が僕は好きだなあ♪
大学編の記事、続きは、また今度書きます^^;
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<カウンセラー:松葉謙(まつば けん)>
1981年、三重県 いなべ市生まれ。
児童養護施設で児童指導員として勤務。
退職後、インドに一人放浪の旅へ。
マザーテレサの施設「死を待つ人の家」で自分の残りの命の使い方を考えさせられる。
帰国後2010年、昼間はNPOの小さな学校で
6年間教師として不登校・高校中退、高卒認定のサポートに関わる。
同時に、夜間悩み電話相談サービス
<心のホットラインゆくりはねっと>を開設。
立ち上げから6年で2,000人以上の心の悩み相談を聴く。
また、全国でも珍しい「才能アドバイザー」を名のり、これまで多くの人の、転職相談や、才能についてのアドバイスを行う。
人間関係の心の悩みや、親子関係、トラウマの治療も専門としており、薬を使わない根本治療を行っている。
2016年 教師を退職。カウンセラー、ヒーラーとして本格的に独立する。
夢は学校に代わる新しい教育の場「生きる力を学べる寺子屋(フリースクール)」を創ること。
最近叶いました♪ → フリースクール 寺子屋 松葉塾
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今日も読んでいただいて、ありがとうございました^^