インドからの近況報告。マザーハウスへ向かう。インドのバス事情と、怪しいインド人達との日常【松葉のインド放浪記③】

こんにちは。ゆくりはねっとの松葉です。本日は、松葉のインド放浪記 第3話です^^

このインド放浪記は、今から10年ほど前、2010年に松葉がインド放浪で体験した日記を公開しています。

何度も言いますが、当時はmixiの友達に向けて書いたものなので、かなりアホ路線の日記になっています^^;

ほんとアホな内容ですが、よかったら楽しんで見ていただけたら嬉しいです。

<これまでの記事>

まだ読まれてない方はこちらからどうぞ♪

<第1話>
インドへ自分探しの旅へ行ってきた話【松葉のインド放浪記①】

<第2話>
インド到着。インド人のクレイジーな運転に泣いた話【松葉のインド放浪記②】

 

それでは、第3話の始まり始まり〜♪

前回に引き続いて書き逃げすいませんm(_ _)m

宿母から死の宣告をうけたわけですが、話は聞かなかったことに(笑)

前日この宿に泊まっていた人は、朝早くヤギの首切りを見に旅立ったらしい…どんな趣味してんだ…

 

インド到着から 翌日さっそく マザーテレサの施設に行く。街を歩いていると野良犬がけんかしているのでそーっと横を通る。(インドの狂犬病 発症 死亡率100%。噛まれたら、あの世へGO。怖すぎます)

ちなみに、普段のインドの犬はこんな感じで昼間は寝ていることが多いです。

基本、夜になると凶暴になります・・。

横を通った警官がマシンガン?ライフル?のようなものを持っていたのでちょっとビビりましたあせあせ(飛び散る汗)

宿から遠いためバスで行かなきゃならん。これに乗るのか…嫌や~たらーっ(汗)

(『地獄行き』って書いてそう (失礼 ゴメンナサイ))

 

インドはバスにドアがない
あせあせ(飛び散る汗)なぜなら皆飛び乗るから(笑) 動いているところにダイブしていく感じです。なんでだよ(笑)何このシステム?

しかも、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、とんでもないスピードでぶっ飛ばす。

なんでバスがこんなスピードなの(泣)振り落とされないよう全神経集中。

でもインドの人は 女性に席を譲ったり 次降りる駅を教えてくれたり皆優しいわーい(嬉しい顔)

バスが満員で、降りたいのに降りれない時、
それを察知してくれた隣のインド人の人がわざと僕を押して出してくれました。

この優しさは本当にありがたかったです。



街歩いてても「ハロー」と声かけてくる。道を尋ねれば親切に教えてくれるし、

街の写真撮ってたら、「おれのバイク撮ってよ」って」感じで声かけられたり親しげですわーい(嬉しい顔)

↓自慢のバイクらしい

街を歩いていると後ろから声をかけられる。

インド人「アナタ コムロテツヤデスカ?」

松葉「え?……ノーアイムノット、小室じゃありません・・てか、え?」

インド人「コムロテツーヤデショ~、ワタシミタコトアリマス」

インドでリュック背負った小室がおるかいあせあせ(飛び散る汗) てかよく知ってるな。 インドでは有名なのかな?どうやら前インドに来てた日本人に教えてもらったらしい。

パブーと名乗るこのインド人「アナタ500ルピー持ってますか?」

この一言でこの人の目的がわかった。

それまで心を開きつつあったが、一気に冷める。もう無視。


その他にもやたら関西弁を使う”サトシ”と呼ばれてるインド人がいました
あせあせ(飛び散る汗)

おいおい、僕も大阪の大学時代、関西弁のサトシという名の友人がいましたが、
関西弁でサトシって、ちょっと親近感があるじゃないですか。
(外見は100%インド人ですが)

日本の関西弁が、ここインドにまで伝承されているとは驚きです。

大学の友人を思い出したこともあり、このサトシと仲良くなりました。

一見親しげなこのインド人のサトシ。後で宿の主人にそのことを話すと彼は麻薬の売人のボスらしい。

なんでやねん!!何なんこの国!!

インドで日本語を使うインド人はまず間違いなく疑った方がいいらしいです。

 

あと、余談ですが、僕の泊まったホテル。

ホテルVIP

完全に名前負けしていました^^;

でも1泊、日本円で100円くらいで泊まれたので本当にありがたかったです!
(そういう意味ではVIPでした。シャワーはなくてバケツの水でしたが)

 

コルカタの街をテクテクと歩いていきます。

路上で遊ぶ子ども達。

小学校1年生くらいの子もインドでは働いていました。
この辺りは色々と考えさせられます。

 

さて、バスで15分。なんとかマザーハウス到着。

ついに来ました!念願のマザーテレサのマザーハウス!!

 

ここには世界中から ボランティアに皆集まってきてます。今日は見学だけ。

ボランティアさんには、マザーテレサのアルミのコインがもらえました。

写真はマザーの銅像にふてぶてしく座ってるありえない人たらーっ(汗)目を疑いました^^;  笑

家の玄関と間違えてる!?

登録は明後日しかできないが、明日朝7時にいけば特別パスでいけるとのこと。

翌日ダヤダンという障害児の子の施設に行く。マザーハウスから遠いためバスとオートリキシャで行く。

マザーハウスには、離れた場所に、色々施設があります。

↑オートリキシャ

ダヤダン(障害児の子のための施設)到着。

ここでは世界中の人がボランティアをしていました。もちろん日本人も。 オーストラリア アメリカ 韓国 台湾 皆、簡単な英語でなら通じるのですぐ打ちとけれました。 ここの雰囲気はすごく幸せでした。洗濯を干したり 皆が笑顔で シスターが鼻歌歌いながら 洗濯干す。

子どもも寄ってきて乾いた洗濯たたんだり なんか 前の職場の児童養護施設を思い出しました。福祉の世界は世界を越えて同じなのかな。

しばらくの期間、このダヤダンでボランティアさせていただきました。

 

ボランティア終了後、出会った日本人の人達とサダルストリートでご飯食べる。

皆 いろんな事情でインドに来てる。

一週間後 ガンジス川に行くことを伝えると、
たまたま同じ三重県出身の女の子もガンジスに行くというので2人一緒に行くことに。

こういう所が旅のおもしろい所やなと思う。

ガンジス川へは今いる街から寝台列車で14時間の長旅。かなり心強い。インドを出た後は10ヶ月かけて八カ国回るそう。すごいです。

ガンジスまでの一週間は
今度はちゃんと登録して「死を待つ人の家」でボランティアさせてもらう予定ですパンチ

そしてここで、将来のことについて迷っていたことについて答えが出た出会いがあったのでした。

つづく