自分で書いていて恥ずかしいテーマなんですが、
痛いと思われるのを覚悟で今日は書きます^^;
失恋ばかり繰り返している自分ですが、最近特にこのテーマが気になります。最近 野島伸二監督の『世紀末の詩』というドラマを久しぶりに見ました。まさに、「愛とは何か」を哲学していくドラマでおもしろかったです。ドラマでは、最終的にいきついた結論として愛とはあるものに例えられていたんですが、なるほどなと考えさせられました。子どもの頃よく遊んだアレです。
ネタバレになるのであえて書きません
それは、さておき、先日、高校生にこんなことを授業で話しました。
それは「愛とは何ぞや」ということ。そのまんまですね
生徒は笑ってましたが、
でも誰だってちょっとは考えたことあるでしょって。言ってやりました
そこで話した内容なんですが、いつか日記にも書こうと思っていて、もう半年がたっていましたが今日書きます。
それはインドでの出来事……。インドねたばかりですみませんこれが最後です。
インドにいた時、週に一度マザーテレサの施設で、日本人シスターの話が聴けるということを聞いたので、予定の時間に行ってみたんです。そこに集まったのは皆日本人で、十代から二十代の男女、10人くらいだったでしょうか。
普段はシスターが話をして終わるんですが、人数も少ないので、その日は質問形式にするとのこと。そこで、一人の学生が、「愛とは何ですか?(単刀直入)」と質問していました。
「うわ~すごい質問するなー」と思いつつ、何気にシスターがなんて答えるのか興味がありまして、聞いていると、その答えは意外なものでした。
ようは愛には二通りあるのだと。一つは「自分が好きな人に対する愛」。これは、恋愛や友達、家族に対する愛がそうなのだと。そしてもう一つは、「自分が嫌いな人に対する愛」。例えば、職場で自分を嫌う人がいた時に、その人にも自分から挨拶ができるか。例えば自分のことを憎む人がいて、その人のためを思って行動できるか。キリスト教の隣人愛というのがまさにこのことだと思います。「敵を愛せ」というやつです。実はこの見返りを求めない愛が一番大切なのだと。
前者の愛は自然に誰にでもできるが、後者の愛はなかなか難しい。もう一段階レベルが上の愛なのだと。
思いあたるふしありまさに前職の児童養護施設では子どもから無視されようが、恨まれようが、そのこの将来にとってどうかを考えることが求められたなと。そういう修行の機会が何度もあったなと。それってすごく大事なことだったんだなと。
「確かにみんながそれができれば究極、戦争もなくなってるよな~」なんて思いながらも、それがなぜ、色々ある愛の中で一番大事なのかその時は深く考えませんでした。この問いは宿題として日本に持ち帰りました。
あれから半年以上経つけれど、最近なぜか妙にこの話を思い出すのです。
あの時の言葉というのはつまり「与える」ということなのだと最近思うようになりました。「自分の見返りを求めず、ただ与えるだけ。」つまり愛とは、「自分のことのように、相手を思いやること」ではないのかなと。言い換えればその人の幸せを思いやる、「思いやり」に近いものなのかなと。
恋愛のように人が人を求めるのは、「寂しさ」が根底にあるような気がします。それは相手を手に入れたいという自己愛の部分が多いかもしれないけど、それでも無償の愛に近づく瞬間というのはあると思います。
たとえば、それは人に「告白」するとき。ふられても仕方ないと思う砕ける覚悟があるのだから、少しは近づくのかも。または、失恋した時に、それでも相手の幸せを願っていられるか。これも見返りを求めない無償の愛。なぜこれが難しいのかというと、自分自身が傷ついている時にこそ試されるものだからのような気がします。
例えば人は寂しいとき、「もっと自分をみてほしい」「なんで自分だけ」とベクトルが自分に向かっているような気がします。そのベクトルを自分じゃなく、周りに向けることが寂しさを無くすコツかもしれないですね
それが親の愛になると、さらに自己愛より、無償の愛を求められる割合が大きくなるんだろうと思います。好きなことを我慢してでも家族を優先させなきゃいけない場面や、姑関係とか・・・・自分以外のことで悩むことが増えたり。それも見返りを求めない愛の一つだと思います。だから、親になっている人は本当にすごいなと尊敬します
こうやって考えてみると、人が感動して泣くときなんかも、誰かからの思いやりが伝わった時や、受け取った時が多いような気がします。自分よりも人のことを真剣に思いやることができた時に感動するような気がします。
ただ、ここで大事なことは、自分も愛することもとても大事だということです。
決して自己犠牲が良いということではありません。
自己愛も私達には必要ですし、そして、もう1つ利他愛も大事だということです。
自分を愛すること。そして、自分を愛するのと同じように、
自分の周りの人を愛し、与えること。
それが本当に大切なのです。
どこまで愛する対象を広げるか?
その愛の範囲の広さが、そのまま豊かさにもつながると思います。
自分も愛し、さらに自分以外の人にどれだけ思いを込めて生きれたか、与えることができたか、それがきっと、自分が死ぬ時、自分の人生を生きたと思える生きがいにつながるんじゃないかと。これが今の結論です。
愛とは、与えること。ただ、与えるということ。
そんな気がします。
愛とは何ですか? 山ほど書くことはありますが、無償の愛とは宇宙が自ら持っている愛のことです。
個々が欲するものをただ与えるというシステムです。宇宙はそうしているのです。
エンリケが言う愛を得るには愛を出させる、つまり与えることにより得ることができます。
人を含めて他を愛するとは、他を生かすといういうことが根底になければいけません。
他(決して自由を束縛するものではない)を自由を尊重することです。
自他ともに愛することはテリトリーを分けることにあることがおうおうとしてあります。
自分を愛することは、自由でいて最大限にその場そのときを楽しむことです。
スピ読者さん
コメントありがとうございます♪
本当にその通りですね^^
数年ほど前に、こちらの記事も書かせてもらいましたが、
『アミ 小さな宇宙人を読んでの感想(人にとって1番大事なこと 愛とは何か 愛を手に入れる方法)』
http://yukuriha.net/spiritual/2487/
自分も愛し、他人も愛する、与え愛の社会になっていくと良いですね^^