2019年1月10日、大好きだった祖母が旅立ちました。
今日は、そこでのお話と、そこで起きた少し不思議なお話を書こうと思います。
半年経って、ようやく自分の中で整理できてきたというのと、
この半年、本当にバタバタでじっくり書く時間がなく、ずいぶん時間が経ってしまいました。
少し長くなりますが、どうか最後まで読んでいただけたら幸いです。
祖母について
共働きで、忙しかった両親に変わって、
ずっと子どもの頃から、僕と、僕と5歳年上の姉を育ててくれていたのが祖母でした。
いつでも、とても優しい祖母のことが大好きで、
僕も姉も、大のおばあちゃん子でした。
足が弱かった祖母ですが、僕がまだ一人暮らししている頃や、
社会人になって離れて暮らしている時も、
実家に帰った時は、
どれだけ足が痛くても、「よっこらせ、よっこらせ」と言って窓のところまで必ず出てきて、
当時アパートへ帰る時や、出かける時はいつでも、ずっと笑顔で見送ってくれていました。
その時の祖母の笑顔がずっと残っています。
怖がりでダメダメな自分で自信がなくなっている時も、
祖母はどんな自分も受け入れてくれていました。
手を握ると、「冷たい手しとるな〜おばあさんの手あったかいやろ」と言って優しく握ってくれていたのを思い出します。
もうかれこれ10数年、毎日寝る前に、
「おばあさんの体の弱っている部分を治療してください、もう少しだけおばあさんと、一緒にいさせてください、まだあちらの世界にいかないようにしてください」ってお祈りしていました。
自分にとって祖母はかけがえのない存在で、祖母と一緒に居られるのが幸せでありつつも、
いつかくる別れの時が自分にとっては非常に恐怖でもありました。
容態の悪化
祖母はもう99歳の歳だったのですが、ここ3年ほどは足も状態も歩く家の中で過ごしていました。ただ食欲もあり、12月まではずっと元気な状態でした。
2018年12月に僕がインフルエンザにかかってしまい、体調が悪化し、
祖母にだけはうつしてはいけないと隔離生活を取っていたのですが、
祖母と関わりが持てなくなった、2日後くらいに、それに平行するように、祖母の方の体調も悪化していきました。
インフルエンザのような高熱は出ないものの、食欲がなくなり、体のしんどさを訴えるようになってきました。
それでも、12月の末までは、まだ安心はしていました。
様子が悪化したのは、1月3日以降で、食べたものを吐いてしまったり、
黒い便が出るようになったり、黒い海苔のようなものを嘔吐するようになったと父から聞きました。
僕は、まだインフルの症状が長引いており、祖母にうつすわけにはいかないので、
隔離生活を継続していたのですが最初は、正月の黒豆や、黒にんにくを食べていたのでそれかと思っていたのですが、
翌日に、もう1度嘔吐することがあり、それを見た瞬間、「胃潰瘍だ」と直観しました。
熱を下げるために、座薬を使用していたのですが、座薬の副作用で、
胃潰瘍ができてしまったのです。
1/5頃、在宅のお医者様に来ていただき、
血液検査して頂いたり、携帯用トイレ置いたり、家の中もずいぶん慌ただしくなりました。
お年寄りはインフルエンザにかかっても、免疫力が弱いため、高熱にはならないと聞きます。
自分のせいだという罪悪感もずっと残っていました。
家族で交代で、祖母の部屋の隣で寝る日が続きました。
祖母との別れ
1/10、その日は自宅の隣の家で、僕はフリースクールをしていたのですが、
午前11頃、母から、祖母の状態が悪いからすぐに来てと連絡がありました。
前日は、僕が祖母の部屋の隣で寝ていたのですが、その時はいつもよりは息も苦しそうではなく、
以前より安らかに寝ていたのでこのまま回復していくとどこか安心している自分がいました。
この日はフリースクールに1人生徒が来てくれていたのですが、
一緒に来てもらって祖母のもとにかけつけました。
祖母のところに行くと、目が上向きになっていて意識が朦朧としている状態で、明らかに前日より容態が悪化しており、もう祖母との時間がわずかしか残されていなことを無意識に悟りました。「謙きたよ」と僕が言うと、もう声も出ない状態でしたが、「けん」と一言、声を振り絞って言ってくれました。
家族には部屋を出てもらい、少しだけ祖母と2人の時間をもらいました。いろいろ思い出話を話しました。
家族も全員そろう中、家で夕方祖母は息を引き取りました。
僕と姉だけは、祖母の死がすぐに受け入れられず、聴診器を親戚の方から借りて持ってきてもらって、
なんども確認しました。
告別式の方は、とてもよい最期のお別れができました。
祖母の死と不思議な体験
僕自身の体験
あと、
ずっとご先祖様にも、もう少しだけおばあさんとこっちの世界で一緒にいさせてくださいって毎日寝る前にお願いしていました。
ずっと長い間約束を守ってくれていたんですよね。
本当に感謝です。
姉の体験
僕が姉にLINEで、「
少し安心していたらしいんですが、
見ると意味が「
「ごめんなさい、
そこで、祖母と話をすることができました。
その時行っていたんじゃないかなと感じます
祖母の日記
祖母が毎日、書いていた日記、何を書いているのか読んだことなかったけど、
ふと気になり、読んでみました。
ちょうど僕がまだ教員をしていた時のページの一部。
9月20日 はれ
けんが来ると言うので、私は寝やんと待っておる 今、20時15分。
22時20分
けんが今帰ってきたと私に言いにきてくれた。うちの大事のまごです。
10月18日 日曜日
けんが来て、今日帰って行った。
けんは心の優しい大事の孫。
今は松阪で高校の先生をしているそうな。
いつでも、無条件の愛情を与え続けてくれていた祖母に本当に感謝です。
以前、ゆくりはねっとの記事でも書いたのですが、今に想いを込めて悔いなく生きることの大切さを改めて感じます。
生きる上でとても大切なことが書いてありますので、よかったら過去記事も、また見ていただけたら幸いです。
<過去記事1>
『大切な人の死と、これから自分にできることとは(
大切な人との別れや死別は本当に辛いですよね。今日はそんな辛い気持ちをどんな風に考えていけば良いか、残された側の人へお伝えしていきます。何か参考にしていただければ幸いです。
<過去記事2>
『大切な人との別れと、自分にできることとは』
最近大切な人の死や大切な人との別れを経験し、どうしようもなく寂しいというご相談を受けます。 そんなお話を聴く中で感じたことは、生きる中で、どれだけ自分に向けられている愛情に気づけるか。そして、自分がどれだけ誰かに思いを込 …
<過去記事3>
『ドラえもん おばあちゃんとの思い出』を読んでの感想(
人生色々なことが起こるけれど、つらいことがあった時、心が曇っているとき、そんな時、読み返すマンガがあります。 それが、これ。『ドラえもん おばあちゃんの思い出』というマンガ。 のび太の結婚前夜/おばあちゃんの思い出新装完 …
今に想いを込めて、悔いなく生きることの大切さ
自分のやりたいことリストの一つに、もう数年前から、「悔いなく祖母と関わる」というものを入れていて、
当時、
週3日の勤務にしていただけたことも本当に職場や人に恵まれてたと思います。
独立後、実家で、祖母と一緒の時間を過ごすことができたこと、
ヒーラーさんからのメール
祖母の容態が悪化した頃から、知人のヒーラーさんにヒーリングをお願いしていました。
祖母が亡くなってすぐ、祖母が、インフルエンザの件、罪悪感を持つ必要ないことを僕に伝えていることを、ヒーラーさんからお聞きしました。
そしてこのヒーラーさんもおばあちゃん子で、祖母が亡くなった1ヶ月後に、今度はヒーラーさんのお祖母様も容態が悪化し亡くなられたという出来事がありました。ヒーラーさんのお祖母様の容態が悪化されたと聞いて、今度は僕もお祖母様が少しでもよくなるようヒーリングさせていただいていました。
ヒーラーさんのお話では、何か伝えたいことはあるか聞いてくださったらしいですが、祖母は笑顔のみだったそうです。そして、祖母は、亡くなってから僕の頭を、ポンポン、ヨシヨシしてあげて、ハグしてくれていたそうです。
『謙、じゅうぶんだよ、ありがとう』
言葉よりも、愛情のぬくもりを、伝えたかったのかなと感じます。
もう僕は十分もらったと思います。
祖母のぬくもり、この愛情があれば、これから先、僕は何があっても乗り越えていけると思います。
与えてもらった愛情を、今度は自分の周りの人へ。
追記:大切な人との死別について
大切な人との死別について、今を生きる全ての人が経験することだと思います。
そして、それはとても寂しく辛いことですよね。
僕から言えることを綴らせていただこうと思います。
僕から言えること、
それは大切な人はいなくなったわけではないということ。
魂としてはちゃんと存在していて、ちゃんと今も繋がっています。大切な人を思う時、その思いはその人にちゃんと届いています。
思いはエネルギーなので、思った瞬間に届いているのです。
ハートの感覚として伝わってくるはずです。
死については色々と考えさせられます。
なぜか、ドラマの『世界の中心で愛を叫ぶ』の中で出てきていた印象的な詩をふと思い出していました。
この詩を最後に載せて、この記事を終わりにしたいと思います。
『ソラノウタ』
生きていくあなたへ
もしもおまえが枯葉って何の役に立つのってきいたなら
私は答えるだろう
病んだ土を肥やすんだと
おまえは聞く
冬はなぜ必要なの?
すると私は答えるだろう
新しい葉を生み出すためさ
おまえは聞く
葉っぱはなんであんなに緑なの?
そこで私は答える
なぜってやつらは命の力に溢れているからだ
おまえはまた聞く
夏が終わらなきゃいけないわけは?
私は答える
葉っぱどもがみんな死んで行けるようにさ
おまえは最後に聞く
隣のあの子はどこに行ったの?
すると私は答えるだろう
もう見えないよ
なぜならおまえの中にいるからさ
おまえの脚はあの子の脚だ
がんばれ
もらった愛情だけは絶対になくなることはありません。
生きていたら、色々と大変なこともありますが、
この愛情があれば、きっと何があってもやっていけるんじゃないかと思います。
おばあさん、今まで本当にありがとう。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。