(インド・マザーハウスでの体験② 「死を待つ人の家」での出来事)
また、もう一つインドでの大きな経験として、「死を待つ人の家」での出来事があります。マザーの施設の「死を待つ人の家」は薄暗く、そこに死があることを感じました。
感染症の病気の人もいて、ボランティアしながら、「この病気がうつったらどうしよう」なんて思ってしまう自分がいました。情けないけれど、それがその時の正直な自分の気持ちでした。
病気の人を目の前にしても、結局自分のことしか考えてない自分にかなり自己嫌悪になり、このままボランティアしていていいのかすごく迷いました。
そんな時、同じくコルカタにあるマザーハウスで、人の本当の不幸は「孤独」であるとマザーが言っていたとシスターから話を聞きました。
マザーは、貧しい人や病気や体の不自由な人に支援しているというイメージがありますが、本当にマザーが伝えたかったことは「大丈夫、あなたは1人じゃないよ」ということ。それは、自分がこれから仕事をする上で1番大事にしたいことと同じでした。
これまでインドの町中にもたくさん貧しい人がいるのを見てきたけれど、この「死を待つ人の家」の人達と町の人の決定的な違いは、「孤独感」なのかなと思いました。そう思った時、まだここで自分にやれることはあるなと思いました。
最後にシスターは「日本のコルカタをみつけてください」と言っていました。
日本は、これだけ物があふれているのに、寝たきりの一人ぼっちのお年寄りの人、自殺する人、孤独と感じる人がたくさんいます。「そうか、やっぱり自分がしたいことって、そういうことなんだな。」
1ヶ月ボランティアしてみてそう思いました。1つ自分の中にぶれない1本筋ができた気がしました。自分が人生で大事にしたいことは、どうもこの辺にあるなと感じました。
この時、電話相談の仕事のことが頭に浮かんだことを覚えています。「大丈夫、あなたは1人じゃない」自分が前職で児童養護施設を選んだのも、それが人にとって1番大事なことだと思うからなのだと今になって考えます。
帰国前、あるドミトリーに泊まった時には、旅人のノートに誰かが書いていったメモにこんな風に書いてありました。
自分が人に与えられることって何でしょうか・・・・。
そんなことを考えさせられた旅でした。
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